被爆77年「広島原爆の日」

広島に原爆が投下されて、令和4年8月6日で77年となりました。毎年8月6日は、平和公園(広島市)で平和記念式典(広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式)が行われ、黙とう・平和の鐘(8時15分)の後、広島市長が平和宣言を読み上げます。

平和宣言の文中で、『私たちは、今改めて、「戦争と平和」で知られるロシアの文豪トルストイが残した「他人の不幸の上に自分の幸福を築いてはならない。他人の幸福の中にこそ、自分の幸福もあるのだ」という言葉をかみ締めるべきです。』と松井一實市長は述べました。

「広島原爆の日」には、どさくさに紛れて様々な団体が追悼イベントやデモを含めた主義主張を繰り広げます。

『三つ子の魂百まで』といいますが、「人にされて嫌なことは、人にしてはいけない」という私の親の教えが身にしみます。

世界の国や地域で、イデオロギーや利権が絡み合い様々な思惑が働き、武力による衝突や制圧が為政者の権力により引き起こされる現実を21世紀になっても何度か経験した。

そして、いつも何度でも、世論は望もうが望まざるが西側諸国の論理の渦に巻き込まれ、マスメディアの報道に正解を探し迷う。

イラク戦争で、結局大量破壊兵器など見つからず、イラクでの平穏な暮らしを突然奪われた人々のことなど思いも馳せずに、日本の世論が西側の論理に偏った間違いであったことの反省もしないのだ。

"隣の家の今夜の晩御飯のメニュー"すら知らないくせに、己れの情報網を正しいと信じ込む程度の見識で『核の保有』など考えないに越したことはない。

私たちは、ロシア🇷🇺の何を知っていて、ウクライナ🇺🇦の何を知っているのだろう?
ロシアに対する経済制裁で、ルーブルは暴落するどころかウクライナ侵攻前より買われる結果となった。ロシアを戦勝国として評価しているのは、アメリカ🇺🇸新自由主義なのだが、それでもまだ日本🇯🇵の世論を盲目的に信じ込むなど無知も甚だしい。

歴史は繰り返すし、人間は必ず同じ過ちを繰り返す。終戦から77年しか経っていないのに、私たちはもう忘れかけているのだ。

岸田総理大臣は、「いかに細く、険しく、難しかろうとも『核兵器のない世界』への道のりを歩んでいく。非核三原則を堅持しつつ、『厳しい安全保障環境』という『現実』を『核兵器のない世界』という『理想』に結び付ける努力を行っていく」と述べた。

世界唯一の被爆国として、被爆地の論理を、「馬鹿だといわれようが、理想論だといわれようが」勇気を持って力強く主張する以外に日本が平和であり続ける道はないように思う。
やられた側は忘れはしない。
世論は安全牌ではない。日本にとっては厳しい安全保障環境であり、楽観的にはなれない未来になりかねないのだから。